消防庁舎の変遷

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消防庁舎の変遷
 月形消防組番屋   明治時代

 明治33年(1900年)8月に組頭等の提灯、明治34年1月には頭巾45個をそれぞれ購入し、消防施設の充実が図られた。
また、消防番屋は上記、装備の整備時期とほぼ同時期に現在の緑町の柳橋付近に建設されたものと推測されるが、建設時期については記録に残されてはいない。


 明治28年 私設消防組として発足時の消防組番屋
 月形消防組番屋   昭和時代

 昭和11年(1936年)10月、目まぐるしい社会情勢の変転とともに消防組の腕用ポンプという時代から、昭和12年(1937年)4月、フォード1936年型車へ移行(購入)し、消防機械の強化が図られ、当時は出動時の迅速かつ果敢さは多数の方々に定評があった。
また、消防番屋は現在の緑町の柳橋付近に建設されたものと推測されるのだが、建設時期については記録に残されていない。


昭和12年 フォード1936年型車と消防組番屋
 月形警防団番屋   昭和時代

 昭和14年(1939年)4月、「警防団令」が制定され、従来の消防組と防護団が解散し、「警防団」に統合して新たな組織として発足した。
月形村においても月形警防団を組織し、2分団制(第1分団は北農場、市街地以南方面、第2分団は厚軽臼内以北の札比内方面を管轄)を設け、一段と組織の強化に努めることになり、警防団番屋は昭和時代の消防番屋を引き続き使用していた。


昭和14年 フォード1936年型車と警防団番屋
 第1分団消防会館   昭和時代

 昭和23年(1948年)2月、警防団が解散して「月形村消防団」が改組、新たに発足した。村当局においては財政事情が厳しいなか、地域住民の有志の協力も得て、昭和24年に現在の月形町役場庁舎に第1分団消防会館を隣接した。


     昭和24年 第1分団消防会館
 第2分団消防会館   昭和時代
 
 昭和23年(1948年)2月、警防団が解散して「月形村消防団」が改組、新たに発足した。村当局においては財政事情が厳しいなか、地域住民の有志の協力も得て、昭和24年に第1分団消防会館を建設、昭和25年に警防団番屋を取壊し、現在の第2分団詰所に第2分団消防会館を建設した。


 昭和25年 第2分団消防会館と第2分団員


 月形出張所庁舎   昭和時代

 昭和47年(1972年)8月、岩見沢地区消防事務組合発足と同時期に大正9年から樺戸監獄庁舎の払下げを月形村役場として使用していたが、老朽化が激しくまた手狭になったことから第1分団消防会館跡地に月形町役場庁舎と消防庁舎を建設した。
執務開始は月形町役場より一足早く、月形出張所事務所及び第1分団詰所兼車庫が併設(鉄筋コンクリート造、面積314.43平方メートル)され、車庫床下には冬期間における水槽車の積載水凍結防止のため暖房装置を設置、さらに電動高速シャッターを設置し、早期出動体制が可能になった。


  昭和47年 出張所庁舎兼第1分団詰所
 第2分団詰所   昭和時代

 昭和49年(1974年)1月、第2分団消防会館も老朽化が進行したため、札比内コミュニティセンター建設時に第2分団詰所及び車庫を併設(鉄筋コンクリート造、延面積66.0平方メートル)した。
複雑多様化する災害発生のおそれがあるなか、各種協議体制の充実を図るため詰所が手狭になり、平成6年(1994年)9月、増改築(延面積156.0平方メートル)した。


      昭和49年 第2分団詰所
 月形支署庁舎   平成時代

 平成2年(1990年)10月、消防業務の拡大とともに消防車両の大型化が進行し、事務所及び車庫が手狭になったことから月形町役場から独立し、月形支署事務所及び第1分団詰所兼車庫が併設(鉄骨造2階建、延面積766.76平方メートル)した近代的な消防庁舎を建設した。


   平成2年 支署庁舎兼第1分団詰所