○ 初 代 月形 潔(つきがた きよし) 在任期間:明治14年9月〜明治18年8月
弘化4年(1847年)福岡生まれ。伯父にあたる月形洗蔵は筑前勤王党の知る人ぞ知る人物。この洗蔵が斬られ一族として潔も連座入獄したが、処刑を免れる。その後、福岡藩権小参事、司法省8等出仕、東京裁判所小検事を経て内務省御用係、準奏仁権小書記官となる。明治13年北海道に集治監を設置するための調査団長を務め、翌年には樺戸集治監の初代典獄となる。 在任期間:明治14年9月17日〜明治18年8月
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○ 2代目 安村 治孝(やすむら はるたか) 在任期間:明治18年8月〜明治24年8月
明治政府は北方警備と開拓のために大量の屯田兵派遣を計画。その受け入れ道路開削のため、囚人による外役作業の指揮をとる。上川道路(国道12号)を開通させる。 典獄以外に地方行政官として、樺戸・雨竜・上川の3郡の郡長、また、警察署長も兼任していた。
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○ 3代目 大井上 輝前(おおいのうえ てるちか) 在任期間:明治24年8月〜明治28年8月
クリスチャンで西欧文化に精通しており、アメリカ留学の経験があった。キリスト教の教誨師を招き囚人教誨にあたらせた。
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○ 4代目 石沢 謹吾(いしざわ きんご) 在任期間:明治28年8月〜明治34年10月
明治17年から続けられていた稲作に試作に一定の収量を確保するにいたり、監獄耕地300余町歩を水田として整備。また、灌漑溝を設計し、民間にも恩恵を与えれるようにした。 円福寺、樺月館を建設。 |  |
○ 5代目 長屋 又輔(ながや またすけ) 在任期間:明治34年10月〜明治43年3月
灌漑溝の建設に着手し完成させる。また、北漸寺の造営に名を残している。
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○ 6代目 五十嵐 小弥太(いがらし こやた) 在任期間:明治43年3月〜明治43年12月
病弱のため短期間で退官している。須部都橋を竣工させている。
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○ 7代目 黒澤 迪(すろさわ すすむ) 在任期間:明治43年12月〜大正2年
灌漑溝を強固なものにするために、改修する。父親は水戸藩士で、桜田門外において大老井伊直弼に一太刀浴びせたという。
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○ 8代目 関 省策(せき しょうさく) 在任期間:大正2年〜大正8年1月
札幌から栄転で赴任。教育の重要性を説いて、小学校に図書館を設け青年修養にも努めた。監獄の廃監において財産を払い下げしてまちの財産として残すことをで動いていたが、価格面で折り合いがつかず、小学校校庭と監獄の本庁舎及び敷地を無償で交付することとなった。 |  |