樺戸集治監の歴史コース

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樺戸集治監の歴史コース
 
月形樺戸博物館
月形樺戸博物館は旧樺戸集治監本庁舎、月形樺戸博物館本館、農業研修館の総称です。
◆旧樺戸集治監本庁舎
明治14年に開庁した本庁舎は、明治19年に一度焼失しましたが、すぐに再建され現在に至ります。現在の建物は大正8年に樺戸監獄が廃監されるまで事務所として使用されました。その後昭和47年まで役場庁舎として使用されました。昭和48年からは北海道行刑資料館(後に月形樺戸博物館に改称)として一般公開されています。
◆月形樺戸博物館本館
より多くの集治監資料を展示するために平成8年に建てられました(旧樺戸集治監本庁舎とは地下でつながっています)。樺戸集治監の当時の様子を実物資料で展示しています。集治監には有名囚人も多く集監されていましたので、そのエピソードなどが資料により解説されています。
◆農業研修館
昭和61年に建設されました。樺戸監獄は農事監獄として始まっており、月形町の開拓に心血をそそいだ先人たちの記録、農業に関する資料が展示されています。

囚人棟梁建築の寺(円福寺)
明治20年に現在地に中嶋布教所を創設。本堂は明治29年に囚徒の手により建築されたものでこの寺は真宗大谷派に属します。庫裡には4代典獄・石沢謹吾揮毫の「速満足」扁額があります。

囚人棟梁建築の寺(北漸寺)
明治17年月形潔の援助のもと囚人の労役によって仮御堂を建築。明治42年には、高岸石次郎の設計により、毎日70~80人囚徒が出役して本堂が建築されました。曹洞宗永平寺派にして、札幌の中央寺と同格の寺です。

篠津山囚人墓地
樺戸集治監の開監から廃監までの39年間に獄死した1022名の無縁仏の霊が眠っています。樺戸集治監は始めは農事監獄として始まりましたが、後に北海道の開拓のため土地の道路開削などの過酷な土木作業へ従事し、多くの犠牲者が出ました。

峰延道路開削測量の基準点
明治19年、囚人の手による月形峰延間の道路開削の時に峰延方向を見渡せる円山の中腹を測量の基準点としました。このことからこの記念碑が建設されました。この頃から、空知地方を含めた道央地区の開拓が進んでいったと思われます。

月形スギ保護林
円山公園の中にあります。明治23年、樺戸集治監の囚徒達によって植えられたスギ林です。現在は国内北限の杉林として保護育成されています。